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余生
何事モ十年デス。アトハ、余生ト言ツテヨイ。(太宰治『右大臣実朝』)
今週の電脳コイル(8話)
「ダイチ君」だってさ。はははは。まあ細かいことは気にせずに、8話夏祭り篇。

小学6年生な純情と鈍感と中途半端な大人び方が入り混じる、いかにもノスタルジックという話。男子勢が全般的に性欲を持て余し気味で女子が揃ってその気がないというのが、何というか狙いすぎな気はしますけどね。
話の流れを見ると、前半は大人たちが大人たちの論理で動き回りつつ、後半は子供たちが子供たちの論理で遊び回るというきわめて対称的な構造の展開でした。話の主題として、ダイチが大人びた恋愛感情と子供じみた戦いの原理に揺り動かされるというのがあるわけで、それを話の構造自体が背景として演出していると言えます。ただ実のところ、ダイチの行動を制御しているのが、子供の世界から半歩踏み出したイサコであり、その侵入を阻止するためにあえて子供の側に立つ決意を固めた、という思考プロセスが面白いですね。
イサコは今のところ、どちらかといえば大人の側に立っているようにも見えます(しばしば連絡を取っている何者かの存在ゆえに)が、少なくともオバチャンなどは彼女を敵と見なしています。彼女がいるのは大人と子供のはざまであり、おそらく「あっち」と呼ばれる世界に象徴されるものでしょう。この三つの世界観がぶつかり合うような微妙な世界構造が、電脳コイルという作品の基本となっています。
今週の話があのような構造で機能するのは、ダイチの視点から見てイサコがいるのは「子供ではない」所であり、彼がそれを判別する術を持っていないから、と考えられます。父親やイサコといった外部からのプレッシャーは、ダイチにとっては「子供の世界」=「フミエと一緒に楽しむ祭」を侵害するものであり、”果たし合い””大っ嫌い”という子供の言葉を使うことでしかその世界を保てなかった、というわけ。

さて主役であるはずのヤサコは着々とハラケンフラグを立てております。他人の色恋には敏感なのに自分のことに鈍い、というストーリー的に都合いい女の子って現実に存在するものなんでしょうかね? 若い女の子の気持ちはさっぱりわかりません。
まあハラケンのおかげでヤサコもだんだん本筋に絡めそうな気配です。彼女もいまいち大人と子供の間でふらふらしている印象で、きちんと「あっち」を踏み台にして成長するんでしょうけどね。イリーガル化したカンナの嫉妬で呪殺されないように気をつけてほしいものです。いやそんな話ないでしょうけど。

ともかく次回は果たし合い。夜の学校で肝試しとは何とも何ともなシチュエーションですが、一筋縄ですむかどうか。

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↑ガイドブック発売されましたね。アマゾンから届く前に店頭で見かけたんでぱらぱらめくりましたが、すごい勢いで9話がネタバレされていたのでのけぞりました。
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あなたのお名前、何てーの?
いちおう小説を書く人間なので、たまにはオハナシに纏わる何かでも記事にしていこうかと思います。思いつきなので不定期、てか次がいつになるかは不明です。

今回は”名前”について。
真の名前を知られると相手に支配される、という考え方はけっこうあちこちの文化で共通なようです。そうした世界では、真の名前を隠すという風習も併せて存在するようで、有名どころだと中国では本名と別に字(あざな)をつけて、普段はそちらを用いるという風習が見られます。
こうした名前に関するギミックは、時折物語の中心要素として成立することもあります。最近読んだ中では「landreaall」にそんな話がありました。

が、もちろん名前というものはきわめて普通の言動でも用いられるものです。そうした一般的な「名前」の利用を見ていくことで、ストーリーや人間関係の見どころがつかめることがあります。
たとえば、このブログでもおなじみの電脳コイルから例を引いてみましょう。
この作品で名前にこだわりのあるキャラと言えば、当然イサコが上がってきますね。イサコという綽名をかたくなに拒む姿は、”私のことはヤサコって呼んで”と自ら提示したヤサコと好対照を成しています。
そんな彼女の名前にまつわるもうひとつの見所は、彼女が他人を呼ぶ時のことです。よく観て、というか聴いていると、ほとんどイサコは他人を名前では呼びません。むしろ、一般名詞や代名詞でしか他人を呼んでいないことがわかると思います。部下にしたダイチ一派だって十把一絡げで”お前たち”ですし、京子のことを”幼児”と呼ぶあたりは7話で印象深いシーンですね。
こうした単語は、しかし不特定多数を示すものであって、対象は入れ替え可能です。それはつまり、彼女が他者を特定の誰かとして認識しようとしていないという意味合いを併せ持ちます。こうした言葉遣いは、彼女が己を周囲から隔絶した孤高として位置づけようとする主張でもあり、イサコのキャラクターを強く押し出す要素でもあります。
しかしこの要素は、逆に電脳コイルの現状のストーリーにおける不安定さをも生んでいたりします。イサコが他者をより同定性の強い名で呼んでいるシーンも、少ないながら存在しています。私の確かめた限りではいずれも4話、モジョの個体のひとつを”5番”と呼ぶシーンと、フミエに情報を奪われた後の独白で彼女を”小さな魔女さん”と呼ぶシーンです。ダイチたちモジョ以下かよ、とか思ってしまいますね。フミエの呼び名も微妙な所ですが、4話序盤のシーンでダイチとまとめて「チビスケ」扱いしていたことと比べると際立った変化であるのがご理解いただけると思います。
さてモジョとフミエ。共通点は「イサコと電脳世界を通じて強く関わる相手」。モジョはイサコにとってはたぶんダイチたちより役立つ部下で、フミエは彼女の防壁をクラックしてみせた好敵手です。対照的に、7話で物理的にヤサコとふたりで閉じこめられたシーンでは、徹底的にヤサコを「あんた」とかでしか呼んでいません。つまりイサコにとって、自分にとって重大な存在は電脳世界の側にしかいない、という彼女の価値観までもが表れていると言っていいでしょう。
その7話のシーンでは、執拗にイサコを”イサコ”や”天沢さん”と呼ぶヤサコとの対照がはっきり表れています。ヤサコの側からはイサコを重要な存在、デンスケを誘拐した仇でありつつ友達になりたい相手と見なしているのに対し、イサコはヤサコを何とも思っていないのです。たぶん「デンスケの飼い主」「魔女の金魚のフン」くらいの扱いなんでしょう。
ここがストーリーの不安定性の要因です。ふたりの「ゆうこ」、ふたりの主人公同士の関係がひどくアンバランスな現状が、物語の軸を大きく揺らがせています。ネット上とか検索ワードで見ると明らかにイサコの人気の方が大きいのも、話の流れの不均衡がもたらすものかもしれません。逆にヤサコは周囲から主人公レベルの存在として認知されていない、ということもあります。ヤサコって呼んでんのフミエくらいですしね。
が、逆に考えると、どこかで大きな転換点が来るはずです。それはイサコが”イサコ”という綽名を受け入れる瞬間であり、イサコがヤサコをたったひとつの名で──それは”小此木さん”か”ヤサコ”かそれとも別のものかわかりませんが──呼ぶ瞬間に違いないでしょう。その時、電脳コイルは「ふたりの”ゆうこ”の物語」として立ち上がってくるはずです。

呼び名ひとつで、キャラの個性や関係、ついでにストーリー上の問題や負荷まで探り出すことができました。まだまだ軽い読みですから、他の要素と合わせていくらでも深い読解は可能でしょう。その辺は、また気が向いたら。
どうでもいい話
すっかり記事が電コまみれですね。ここはライトノベル作家を名乗る閑人の日常をお送りするブログです。
電コをお勧めするのと同時に、毎週更新ネタがあればいいかなー、くらいの調子で書いてたわけですが、それがメインになったらなんか空しいなあ。実際、毎週感想書かないと本当に書くネタがないんですよ。昼ごろ起きてもさもさ飯食って本読んでアニメ観てちょっと小説の事考えたりするくらいですからね。人とは会わないし、その他の趣味もさほどないし。実は私はすでに発狂していて、ここは病棟の一室なのかもしれないと妄想しても無理がないくらいです。そんなこと考えてる時点でちょっとおかしいですが。
将来的にはまた出版情報でもお知らせできればいいんですが、申し訳なくもまだその予定はありません。気長にお待ちいただければ幸いです。

そういやfc2の仕様変更でブログ拍手が標準装備されてますね。たまに気が向いたら押してくださると、何となく喜びます。
今週の電脳コイル(7話)
黒板の文章、見覚えあると思って調査したら宮沢賢治「ひかりの素足」でした。7話。
脚本にノベライズの宮村さんが入っていたせいか、ちょっといつもと雰囲気が違う話だった気がしますね。演出の見せ方も少し難易度が高かったかな? 最初の方の影絵が京子だったのに見返すまで気付かなかった。これは私が間抜けなだけかも。
話的にはまあ挿話。電脳コイル全体が挿話みたいな話をつなげて物語を生み出している印象なのですが、前回のふりをまったく無視しているあたりが完全に挿話な所でしょうか。
たぶん今回の主役はイサコ。玉座に恐怖政治に怪談とサド全開なのですが、鉄壁に見えても小学六年生、やっぱり目の前で幼児がピンチになれば動揺もするし助けようともする。これをヤサコの説得による態度の軟化と読めばわかりやすいですが、そう一筋縄でいく子ではなかろうなあ。
ヤサコの方は相変わらず役立たずのくせにいろいろ伏線だけは増えていきます。空間不安定を”声”として聞いてるらしい点やアンテナ代わりな所も、誘電波体質に近いんでしょうか?
隔離状況で久々に主人公二人の対決だったわけですけど、今回は五分ってとこかな。なんだかんだで二人で奮闘してるし。ヤサコにイサコの本質を突くようなセリフを吐かせるのは宮村さんの見立てなんでしょうけど、お互いだけが相手の底の部分を見切ってるわけで(4話の下駄箱もそうですね)その辺で対等なんでしょうね。電脳能力ではイサコの方が断然強いのでヤサコのセリフに説得力が乗らないのが残念な所。
にしても、あの怪談は絶対単なる一発ネタじゃないよね。イサコが本質を知っていてあえて冗談に誤魔化すか、ヤサコが何らかの形で怪談を実話にしてしまうか。これはまあまだまだ読めません。
そんな感じで次回は夏祭り。浴衣イサコが人気出そうですねー。予告だけだと何の話なのかいまいちわからんが、地味な話が続いてるので4話みたいな大戦争を久々に観たい気がします。
今週の電脳コイル(6話)
ウチクネって誰かと思ったらあの先生ね。6話ハラケンとカンナ。
軽い話っちゃ軽い話ですが、コミカルな流れの中に設定語りと次への布石が複雑に結びつく面白い構成でしたね。今後の展開への大きなスプリングボードになりそうな気配。
ハラケンの謎を追っているうちにサッチーの習性とか町の危うさも明らかになってきて、「勉強になるわー」。中津が二番目ってことは一番ははざまかな? こんな電波の危うい都市じゃそりゃ郵政局もてんやわんやでしょうが、縦割り行政ってめんどくさいですね。
しかしハラケン、ああ見えて情熱的なキャラなんでしょうね。表に出ないだけで。フミエのペットロストという喪失の傷が、彼の内心と共鳴しているように思います。空間や体さえ文字化けする不安定な世界というのは、逆にお年玉換算で大抵のものを回復してしまえるかのような錯覚を引き起こします。電脳空間だからやり直しがきくなんてベタもいいところのことを言う気はありませんが、不可逆な喪失は危うさと紙一重、失われて戻らないものの影が成長物語として作品にいい感じの陰影を与えております。
次への流れは、空間管理局とオバチャンの存在がキーになりそう。十七歳はさすがにネタでしょうけど、あんな若くて胡散臭い人が顧問とかやってる大黒の空間管理局も相当謎ですね。ハラケン母との縁故とかか? それ言ったらヤサコの立ち位置も相当微妙か。はてはて。
そのヤサコ、フミエに乗せられてすっかりバカキャラみたくなってきました。けっこう抜けてますよね。ふたりで行動してどうにかフォローし合ってるというか、愉快な凸凹コンビというスタイルでしょうか。
ですが、「ヤサコが致命的なバグをもらっているかも」「普通の女の子に戻れない」なんてフレーズ、あまりにも深読みできそうで怖いですね。ヤサコが主人公張ってるのはそれなりに意味があるはずです。
あと今週のポイントとしちゃ、小説版と違ってメガネの年齢制限は完全に破棄されてるみたいですね。まあ小説版と同様のフォローがあると考えてもいいですが、顕示されてない設定はないのと同じなのでまあいいでしょう。そこはずぼらにとらえますか。
次回は今週お休みのイサコと黒客が大活躍の様相。ていうかイサコはあの玉座どっから持ってきたんだ。あまりにもノリノリすぎてまさに女王様。ひさびさにイリーガルも出るし、楽しい話になるといいなあ。

DVD2巻の情報。限定版また絵コンテがつくなー。全巻買うのかー。26=2+3×8だから全9巻か。先長いな。

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ガイドブックもアマゾン入りなので貼っときます。

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みんなでメガネをかけよう
明後日の土曜日は電脳コイル一挙再放送の日ですね。何度もやればより人の目に触れやすくなるわけですが、それにしてもやりすぎ感が漂います。これで本放送終わったら適当に間を開けて再放送するんだろうし。ま、面白いからいいんですが。
DVDもアマゾン予約始まっています。私は絵コンテほしいので限定版買いますが、通常版はアニメDVDとしては割安な感じですね。ていうかメタタグカードって限定の方にはつかないのかな?

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何となくですけど、あんまりおおっぴらに言及されにくい作品のような気がします。マニアックな設定考察するにはまだ情報が足りないし、話も特に突っ込みどころはないし、現代コンテンツとして極端なキャラが出るわけでもない。絵もすごいけど話題にはなりにくい、ていうか動画サイトでMADができたりする絵じゃないですよね。乳房や下着をさらけ出しもしないし、やたら1コマで踊ったりするわけでもない。
そういう極端さをあからさまに見せつける方がキャッチーではあるし、それで視聴者をつかむ手法を否定はしませんが、瞬間風速的に盛り上がるだけがすべてじゃないですよね。こういう良質で静かな作品が存在するのも、また一興というものでしょう。
ただ忘れ去られてしまうと困るので、私みたいなお節介が地味な啓蒙活動をしてしまうわけです。メガネをかけて電脳世界に触れるのと同じで、作品に触れるというのは観る側の能動的な意思にかけるしかありません。メガネをかける気のない人々、メガネの存在を知らない人々とはデンスケの可愛さもサッチーの恐怖も共有できないわけで、そのまま過ぎてしまうのは少しさびしく感じられます。現実とは違う世界を観てみたいという純粋な興味、あの人と同じ世界を観てみたいという切望、そんなものをひとりでも多くの人に与えたい、とまで言うと大きなお世話かもしれませんが、観てみてよかったと思ってくれる人が少しでも増えればいいなあ、と思います。
失礼
一瞬だけ愚痴っぽいエントリを上げちゃいましたが、いったん隠しました。失敬。
今週の電脳コイル(5話)
これぞ小六の夏。5話はハイキング。
プロット的にはこれまでの人間関係まとめ&新展開へのつなぎというところでしょうか。こういう説明はうまいこと本編展開と交えていきたいところですが、わかりやすさ的にはこれでもいいのかな。説明多いセリフも併せて、子供のためって意識がありそうですね、作り手側に。
とはいえ、前半の話は実に小学六年生の夏っぽすぎてとても微笑ましい。夏の山道のかげろうぶりとかとても夏、そして意味もなく元気なダイチたちがとても六年生。こういうとこも古流だよな、話の雰囲気が。そして古風な純情。フミエの鈍感もさることながら、イサコにいい感じに籠絡されているダイチも実に幼いなー。ラムネイサコの色気は誰が描いたんでしょうね。浮気した罰は後々当たることだろう。知らんけど。
後半の展開はまぁ、とりあえずサッチー出しとけば盛り上がりは作れるよって感じでちょっと場当たり感が。「何でバス墓場が放置されてたのか」「何で彼らがやってくるタイミングでサッチーが出るのか」とか気になるところですが、まあ「普段は放置されてるけど、子供たちがいっぱい訪れたのでサッチーがつられてやってきた」という解答はありそう。メガネにGPSくらいついてるだろうし。
さて、生来の悪ボス気質で黒客を乗っ取ったイサコの暗躍VSコイル探偵局がメインなのかねー。バイクの人(イサコ上司?)とかハラケンも気になる。はざま交差点にミチコさんが出るとか、誘電波体質とか、おもしろげなタームも増えてきました。霧の中で頭痛を感じてたのはデンパとハラケンとイサコぐらいかな。デンパもこれから話に絡んでくるのかね。ていうかここまで書いてヤサコの話題が全然ないな。いまのままだとフミエが人間関係の中心かつ主人公っぽいので、とっととハラケンあたりとフラグを立てたりしてイサコと並びたてるくらいのカリスマと実力を持たなきゃねー。がんばれ主役。
今週の電脳コイル(4話)
それにしてもこのイサコ、ノリノリである。4話戦争編。
もともと情報量の多い作品ですが、読もうと思えばいくらでも読めそうなところがいいですね。授業んときの黒板とかけっこう意味不明なことが書いてあった気がするので誰か読んでほしいものです。何かカリスマとか書いてあったよ。最後の機密情報とかも。
ヤサコとイサコのぶつかり合いは現状イサコの圧勝風情。金沢時代のヤサコには何があったのやら。芸風は正反対ですが、自分に対する障壁を作っている点では似たもの同士なのでしょうね。
後半のバトルはもう絶好調。ミサイルと御札と魔法陣で繰り広げる電情戦ってどんなだ。どのエフェクトも見ごたえありすぎてたまらんですね。つうかイサコのあの城はモジョに造らせたんでしょうか? 自分で机運んで組み立ててるの想像するとちょっと微笑ましい。のりのりで悪役やってたしなー。
次回からは小説版のエピソードから外れて、普通に楽しんでいけそう。