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何事モ十年デス。アトハ、余生ト言ツテヨイ。(太宰治『右大臣実朝』)
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あなたのお名前、何てーの?
いちおう小説を書く人間なので、たまにはオハナシに纏わる何かでも記事にしていこうかと思います。思いつきなので不定期、てか次がいつになるかは不明です。

今回は”名前”について。
真の名前を知られると相手に支配される、という考え方はけっこうあちこちの文化で共通なようです。そうした世界では、真の名前を隠すという風習も併せて存在するようで、有名どころだと中国では本名と別に字(あざな)をつけて、普段はそちらを用いるという風習が見られます。
こうした名前に関するギミックは、時折物語の中心要素として成立することもあります。最近読んだ中では「landreaall」にそんな話がありました。

が、もちろん名前というものはきわめて普通の言動でも用いられるものです。そうした一般的な「名前」の利用を見ていくことで、ストーリーや人間関係の見どころがつかめることがあります。
たとえば、このブログでもおなじみの電脳コイルから例を引いてみましょう。
この作品で名前にこだわりのあるキャラと言えば、当然イサコが上がってきますね。イサコという綽名をかたくなに拒む姿は、”私のことはヤサコって呼んで”と自ら提示したヤサコと好対照を成しています。
そんな彼女の名前にまつわるもうひとつの見所は、彼女が他人を呼ぶ時のことです。よく観て、というか聴いていると、ほとんどイサコは他人を名前では呼びません。むしろ、一般名詞や代名詞でしか他人を呼んでいないことがわかると思います。部下にしたダイチ一派だって十把一絡げで”お前たち”ですし、京子のことを”幼児”と呼ぶあたりは7話で印象深いシーンですね。
こうした単語は、しかし不特定多数を示すものであって、対象は入れ替え可能です。それはつまり、彼女が他者を特定の誰かとして認識しようとしていないという意味合いを併せ持ちます。こうした言葉遣いは、彼女が己を周囲から隔絶した孤高として位置づけようとする主張でもあり、イサコのキャラクターを強く押し出す要素でもあります。
しかしこの要素は、逆に電脳コイルの現状のストーリーにおける不安定さをも生んでいたりします。イサコが他者をより同定性の強い名で呼んでいるシーンも、少ないながら存在しています。私の確かめた限りではいずれも4話、モジョの個体のひとつを”5番”と呼ぶシーンと、フミエに情報を奪われた後の独白で彼女を”小さな魔女さん”と呼ぶシーンです。ダイチたちモジョ以下かよ、とか思ってしまいますね。フミエの呼び名も微妙な所ですが、4話序盤のシーンでダイチとまとめて「チビスケ」扱いしていたことと比べると際立った変化であるのがご理解いただけると思います。
さてモジョとフミエ。共通点は「イサコと電脳世界を通じて強く関わる相手」。モジョはイサコにとってはたぶんダイチたちより役立つ部下で、フミエは彼女の防壁をクラックしてみせた好敵手です。対照的に、7話で物理的にヤサコとふたりで閉じこめられたシーンでは、徹底的にヤサコを「あんた」とかでしか呼んでいません。つまりイサコにとって、自分にとって重大な存在は電脳世界の側にしかいない、という彼女の価値観までもが表れていると言っていいでしょう。
その7話のシーンでは、執拗にイサコを”イサコ”や”天沢さん”と呼ぶヤサコとの対照がはっきり表れています。ヤサコの側からはイサコを重要な存在、デンスケを誘拐した仇でありつつ友達になりたい相手と見なしているのに対し、イサコはヤサコを何とも思っていないのです。たぶん「デンスケの飼い主」「魔女の金魚のフン」くらいの扱いなんでしょう。
ここがストーリーの不安定性の要因です。ふたりの「ゆうこ」、ふたりの主人公同士の関係がひどくアンバランスな現状が、物語の軸を大きく揺らがせています。ネット上とか検索ワードで見ると明らかにイサコの人気の方が大きいのも、話の流れの不均衡がもたらすものかもしれません。逆にヤサコは周囲から主人公レベルの存在として認知されていない、ということもあります。ヤサコって呼んでんのフミエくらいですしね。
が、逆に考えると、どこかで大きな転換点が来るはずです。それはイサコが”イサコ”という綽名を受け入れる瞬間であり、イサコがヤサコをたったひとつの名で──それは”小此木さん”か”ヤサコ”かそれとも別のものかわかりませんが──呼ぶ瞬間に違いないでしょう。その時、電脳コイルは「ふたりの”ゆうこ”の物語」として立ち上がってくるはずです。

呼び名ひとつで、キャラの個性や関係、ついでにストーリー上の問題や負荷まで探り出すことができました。まだまだ軽い読みですから、他の要素と合わせていくらでも深い読解は可能でしょう。その辺は、また気が向いたら。
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